
右の写真は生まれて一週間のラブラドール・リトリーバーの仔犬と母犬です。多くの場合、母犬は、住み慣れた繁殖犬飼育ボランティアさんのお宅で出産します。仔犬の成長はめざましく、産まれた時には300〜400グラム程度の赤ちゃんが、たった2ヶ月で4〜5キロにもなります。1才で立派な成犬になるのですから、急激に大きくなるのも理解できますね。ただ、母犬はたいへんです。一回の出産で仔犬は平均6頭、多い時には12頭も産まれますが、母犬は授乳からトイレの処理まで、1人で世話をします。もちろん、飼い主である繁殖犬ボランティアさんがお手伝いしますが、それでも、みるみるうちに成長する仔犬たちの面倒を見るのは、本当に骨が折れるでしょう。6人の赤ちゃんの世話をするなんて、人間の母親は想像できないでしょう!?
ただし、人間の赤ん坊と違って、仔犬は約1ヶ月で離乳、2ヶ月でパピーウォーカーのもとに巣立って行きます。この2ヶ月間、盲導犬のタマゴたちは母犬と兄妹犬とボランティア家族に囲まれ、犬社会と人間社会の両方の影響を受けながら成長します。特に、この時期に犬兄妹たちとたくさん遊びやけんかをすることは、他人(他犬)との遊び方を学ぶ上で非常に重要です。この時期に一匹で育ってしまうと、「空気の読めない」犬になってしまうこともあるのです。濃厚な2ヶ月が終わると、母親は寂しいどころか、ホッと一休みです。将来盲導犬になる仔犬にとって一番大切なものは素質です。
実際、その仔犬が盲導犬になるかならないかは、90%以上が遺伝的形質による、と言われています。ですから父犬、母犬(繁殖犬)を評価する場合、過去に産んだ仔犬のうち、何頭が盲導犬になったかということが重要な指標になります。盲導犬の場合、仔犬が盲導犬になる確率は、高くても40%くらいです。実に6〜7割の犬は盲導犬に向かないと判断され、一般のご家庭でペット犬としての犬生を過ごします。
※現在、盲導犬のほとんどはラブラドール・レトリーバーという犬種ですが、ゴールデン・レトリーバー、ラブとゴールデンの交雑種など、他の種類も見られます。



産まれて2ヶ月たつと、仔犬たちは母親や兄妹のもとを離れ、1頭ずつパピーウォーカー(仔犬飼育ボランティア)宅に預けられます。これまでは母犬、兄妹犬、そして繁殖ボランティアさんに囲まれて生活していたものが、人間の家族の一員として、パピーウォーカー家族と生活を共にします。これは、盲導犬のタマゴたちに、「人間社会」をより深く経験してもらうための期間であり、盲導犬を育成する上では欠かせない研修期間なのです。
とはいえ、テーブルマナー(人の食べ物を欲しがらないようにする)など一定の社会的マナー(しつけ)を意識する以外は、ペット犬と同じように、家族の一員として愛情をたっぷり注いで育てて頂くのが基本です。毎日の散歩はもちろん、子供さんの学校へのお迎え、ペット可のログハウスでの宿泊など、皆さん家族ぐるみでパピーウォーキングを楽しまれています。さまざまな人間との出会いの中で、仔犬たちは「人と一緒にいると楽しいな、心地いいな」と強く感じるようになります。これが、のちの訓練をおこなうための大事な大事な基礎となるのです。
パピーウォーキングの最初のころはトイレトレーニングに悩まされる事も多いですが、あれよあれよという間に大きくなり、家ではお母さんの次にエライと思ってふんぞり返るようになる仔犬も珍しくありません。やがて10ヶ月が経ち、1才の誕生日を迎える頃には、もう「仔犬」とは呼べないほどたくましく成長した成犬となります。ただし、頭の中はまだまだ子供で、はっきり言って遊び盛りです。1才の犬は、人で言うとちょうど20歳くらい、成人式です。子供なのもうなずけますね。しかしこの「子供っぽさ」が、訓練にはとても重要なのです。

1才になった犬たちは、パピーウォーカーと共に、訓練センターで行なわれる「パピーウォーキング修了式」というセレモニーにのぞみます。パピーウォーカーさんにとっては悲しいお別れの日ですが、人間の我が子同様、犬も社会へと巣立ってゆくのです!ちなみに犬たちは事情がつかめておらず、兄妹たちとの久しぶりの再開におおはしゃぎです。
この日から、犬たちは本格的な訓練に入ります。住み慣れたパピーウォーカー宅から、犬舎での集団生活に環境が急変しますから、すぐには馴染めない犬もいます。人間の18歳が、大学生になっていきなり寮生活を始めるようなものでしょうか。しかしそこは適応能力の高いラブラドール、慣れない場所でもしっかりご飯は食べて、数日ですっかり住人顔になります。そして訓練はまず、人に注意を向け、その指示に従うための「基本訓練」から始まります。
皆さんご存知のオスワリ、フセ、マテ、などの号令(コマンド)にスムースに従う事が求められます。「さぞ厳しい訓練でしょうね」とよく聞かれるのですが、実はそうではなく、訓練士は犬にとって「楽しい訓練」を心がけています。多くの子供が勉強嫌いなように、人間社会で育ったラブラドールは厳しい訓練が嫌いです。嫌々やることは頭に入らないのは人も犬も同じですから、訓練士は犬のやる気を引き出すために、あの手この手を使います。
例えば、犬とかくれんぼをする(犬がオニ)。犬が訓練士を探して、追いかけて来るのを見計らって、「カム(おいで)」というコマンドを教えます。近くまで来たらロープなどで遊んでやり、犬が「楽しい経験」を強く記憶するようにします(強化といいます)。ちなみに訓練では、方言や男言葉・女言葉の違いによる混乱を避けるため、Sit(座れ).Down(伏せ).Wait(待て)などの英語が使われます。


基本訓練がある程度進むと、次の段階、誘導訓練を行ないます。これは、1.道の左に寄って歩く、2.段差を知らせる、3.交差点を知らせる、4.障害物の回避する、という、盲導犬が視覚障がい者を安全に誘導するための4つの誘導動作をマスターするための訓練です。基本訓練では必要なかった「ハーネス」を装着し、文字通り犬が人の前を歩いて誘導する事を教えてゆくのです。しかし形は変わっても、訓練に対する考え方は同じです。つまり、犬ができるだけやる気を維持できるように、訓練士はさまざまな工夫を凝らします。
例えば、外気温の高い日、犬は建物の中に入りたがります(多くの建物はクーラーがきいている事を知っている)。そこで訓練士は、建物のドアに近づきたがる犬の性質を利用して、「Door(ドア)」というコマンドを教えるのです。同時に、訓練中はグーッド(Good)という言葉で犬に正しい行動を認識させ、勇気づけ、意欲づけることがとても大切です。もちろん、タイミング良くGoodとほめるだけで盲導犬の訓練が出来るわけではありません。タイミング良く「No」と叱ってやることで、「Good」の意味がより強まるのです。この場合、「犬が正しい動きを完全に理解しているのに、やろうとしない」時に叱ってやるのが最も効果的です。犬がしぶしぶでも行動を開始したら、すかさずほめてやるのです。宿題をしないといけない、と分かっているのにやらない子供を叱るのとまったく同じです。ただしその前に、「勉強って楽しいもんだな」と感じさせるための工夫が大切、ということですね。
さきほど、盲導犬になるのは10頭のうち多くて4頭と書きましたが、「盲導犬になれない」と判断するのは、この誘導訓練の期間中がほとんどです。誘導訓練の場合、訓練士が4〜5頭の担当犬を車に積んで、訓練場所まで出かけることが多いのですが、1頭の犬を訓練しているあいだ、他の犬は車の中で大人しく待っている必要があります。そわそわしたり、吠えたりする犬は、盲導犬には向きません。実際の盲導犬も、1日に歩く時間は1〜2時間です。そのほかの時間は、家での自由時間、職場での待ち時間、電車・バスでの移動時間などですから、基本的に寝たり寝そべったりしています。ですから、良い盲導犬の条件として、「良く寝る」「神経がやや太い」ことはとても重要なのです。

訓練士は8ヶ月から1年かけて、上に書いたような訓練を犬にほどこします。最初は訓練センターの訓練コースから始まり、住宅街、繁華街、バス、地下鉄と次第に難易度を上げてゆきます。もちろん、地下鉄だから難しいという事ではありませんが、色々な状況を想定して、犬を慣らせておく必要があります。自動車学校の教習が、教習場の模擬道路から一般道、高速道路とステップアップしてゆくのに似ていますね。これらの一通りの訓練科目、訓練コースを修了した犬について、訓練士や指導員は自らが目隠し(アイマスク)をして実際に歩いてみます。
最終的には、その犬の担当訓練士以外のスタッフがアイマスクをして、犬にとって未知のコースを歩きます。これを、複数の訓練士や指導員が見守り、細部にわたる評価を行ない、最終的に盲導犬としての適性を判断します。このアイマスク・テストによって適性を認められた訓練犬が、視覚障がい者との共同訓練に入るのです。先に書いたように、この最終テストに合格するのは、10頭のうち3〜4頭なのです。

最終テストに合格した犬は、マッチング会議にかけられます。マッチングとは、盲導犬を希望する視覚障がい者と訓練犬との良さそうな組み合わせを決める事で、人と犬の性格や生活環境、歩行環境、運動量、歩行速度、体格などを総合的に判断して行ないます。これが決めればいよいよ共同訓練のスタートです。共同訓練は歩行指導とも呼ばれ、通常は訓練センターに宿泊して4週間行なわれます。この4週間は、視覚障がい者が盲導犬と共に生活するために必要な知識を身につける期間であると同時に、人と犬とが信頼関係を築く大切な時期です。初めて盲導犬を持つ方にとっては何から何までが新しい経験に違いありませんが、3頭目、4頭目のベテランユーザー(使用者)にとっても、新しい犬との新しいスタートです。
ここに、共同訓練で視覚障がい者の方が勉強する内容の一部をご紹介しましょう:
4週間の訓練の終わり頃、これまでの訓練の成果を見るための「歩行試験」があります。あらかじめ地図を頭に入れてもらった場所まで、指導員の補助を一切受けずに歩くのです。指導員は離れた場所から見ていて、安全性、基本動作、適応力などをチェックします。でも、一番大事なのは完璧に歩くことではなく、「失敗から回復する能力」。人にも犬にも失敗はありますから、一方が間違えたらもう一方がサポートする、この共同作業が大切なのです。この試験に合格すれば、訓練センターでの訓練は卒業です!

歩行試験が無事終了すれば、訓練センターにて「出発式」を行ない、ユーザーは犬を連れて自宅に帰ります。ユーザーの自宅は犬にとって初めての場所ですから、指導員が同行し、2〜3日は現地での歩行指導を行ないます。犬との歩行の基本は訓練センターで身に付けたわけですが、地方の住宅街や商店街などは歩きにくい場所がたくさんありますので、応用力を働かせて対応してゆきます。そして、自宅周辺を歩く際には、どうしても気がゆるみがち。知った場所ほど事故が多いと言いますから、リラックスしつつも、注意を払う事を忘れないようにします。もちろん、犬との生活も同時進行です。家族の方に、犬との接し方を指導するのも、スタッフの大切な役割です。
ともあれ、この日から約8年間、犬が10才の誕生日を迎えるまで、家では家族の一員として、外出時には安全のパートナーとして、ユーザーと盲導犬は生活と歩行を共にします。多くの場合、どんなベテランユーザーでも、新しい盲導犬と息が合うまでには半年〜1年かかります。犬は3才から7才くらいが、盲導犬として脂の乗った時期と言えるでしょう。8才以降は若い頃のスピードより少し遅くなる事が多いですが、歩きは熟練の域に達しています。ユーザーとの息もピッタリです。そして、盲導犬は引退を迎えます。
関西盲導犬協会では、盲導犬が10才の誕生日を迎えたころに引退させることを基本方針としています。10才というと、人間で言うとちょうど60歳くらい。ほとんどの犬はまだまだ走り回れるくらい元気なのですが、元気なうちに引退犬ボランティアさんに引き渡すのが理想です。ちなみに、盲導犬の平均寿命は13才6ヶ月、ペット犬と比べても決して短くありません。パピーウォーカーさんやユーザーさんが、しっかりと体重管理、健康管理をしてくれたおかげです。多くのユーザーにとって、長年連れ添った盲導犬との別れはつらいものですが、それは同時に新しい盲導犬との出会いでもあります。今この瞬間にも、未来の盲導犬たちが誕生しているかもしれません!