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季刊誌「ハーネス通信」

2015年01月のバックナンバー

盲導犬ユーザーと京を歩く(8)~京都府立盲学校の資料室~
15.譁ー蟷エ蜿キ.jpg「48平方メートルの宝箱が開いた」 ~京都府立盲学校の資料室で 岸博実先生に聞く~

 盲導犬協会との関わりが深い京都府立盲学校。日本で最初にできた盲学校だということを、ご存じでしょうか。場所は京都市北区の千本北大路、視覚障がい者施設である京都ライトハウスのすぐ近くです。校内に博物館なみの資料室があり、一般に公開されていることも、あまり知られていません。興味津々で訪問しました。

 初めて訪問する森永さんとウーリーですが、まるで母校のように温かく迎えられ、早速資料室へ。入り口は普通の教室なのに、中はズラリとショーケースや本棚が並んでいます。終始笑顔でご説明下さったのは、京都府立盲学校教諭で、日本盲教育史研究会の事務局長でもある岸博実先生です。ウーリーは森永さんの足元にねそべって、スタンバイOK。

Q:圧倒されます! どのくらい展示物があるのですか?
A:資料室の面積は、48平方メートルです。ここに、明治11年(1878年)に『日本最初の盲唖院』(盲と聾の学校)として創立された、この学校の歴史がぎっしりと詰まっています。数千にのぼる品のうち、約750点が京都府の有形文化財に指定されています。

Q:ここの資料は、どんな人が見に来られているのですか?
A:まずは学校内で、見せたりしていますね。「点字がなかったら、こんなに大変やったんや」と知ることで、改めて点字に向き合うためです。外部からは、学生さんや学者さんが多いです。4年前の「京都市学校歴史博物館」での特別展以降は、問い合わせが増えました。

Q:岸先生は、どんなことをお伝えになりたいですか?
A:一番感じてほしいのは、このバイタリティーですね。見学者の人に、「ユニバーサルデザインですね」と言われたことがありますが、一人一人に合わせた教育は、はるか に時代を先取りしていたんです。私も、ここに来ると元気になれます。この素晴らしさを、広い意味のネットワークを作って伝えたいですね。

・・・・森永さんは、いかがでしたか?・・・
「大変貴重なものを、しっかり理解できるように触らせてもらって、驚くことがいっぱいありました。特に、明治時代の点字書物の表紙の、やわらかい和紙に書かれた点字があったかく感じられて、じーんとしてしまいました。ご説明もとっても分かりやすく、感動しました。」

 京都府立盲学校資料室は、事前の予約が必要です。ご希望と資料室担当者の空き時間(授業のない時間帯)を調整のうえ、見学していただけます。人数は20名まで、もちろん盲導犬同伴もOKです。ご希望の方は、京都府立盲学校資料室までお問い合わせください。
 お問い合わせは
京都府立盲学校 資料室
 花ノ坊校地
 〒603-8302 京都市北区紫野花ノ坊町1番地
 TEL 075-462-5083 FAX 075-462-5770
 お問い合わせメール mou-s@kyoto-be.ne.jp

 表紙のお話番外編
ここでは、京都府立盲学校の資料室で見学したことの一部を、詳しくご紹介します。

Q:この資料室の特色はなんですか?
A:一番の特色は、「点字がない時代の、文字教育の史資料」です。創立した明治11年は、まだ点字が存在せず、「京都盲唖院」に伝わるまでに13年間ありました。その間、墨字(すみじ:点字に対して一般の文字)を使った教育の記録が、創立者である古河太四郎の熱意と共に、実感できることです。

Q:この文字板「木刻凹凸文字」がそれですね。
A:そうです。手に取って下さい。表は凸。裏は凹。なにげないですが、実はすごい工夫があります。小さな切込みによって、触ってすぐに文字の向きが正しく分かるよう工夫がされています。また、凹面と凸面があるのは、生徒が選べるためです。つまり、個に応じた教育をしていたということです。本になっている「凸字教科書」は、平仮名、カタカナ、そして漢字、数字もあり、イソップ物語や九九の表もあります。

Q:書くための道具もありますね。
A:「蝋盤文字」がそうです。背中や掌に書いて教えた記録もありますが、やはり自ら書き、触って確かめることが大切です。これは、薄い金属の箱に蝋を流し、固まる頃にヘラで字を書いて使いました。また熱を加えれば何度も使えます。他にも、「自書自感器」など、いろいろなタイプのものがあります。これらを使って生徒が筆記したものも残っており、かなりハイレベルだったことが分かります。

Q:点字を使わずに、墨字でここまで読み書きできるなんて、驚きです。
A:確かにびっくりしますね。ただ一方で、墨字の習得の壁は相当高かったようで、一部の優秀な生徒以外、多くの生徒が挫折していたという記録もあり、点字の導入後は、文字の習得率が格段に上がっています。このことから、点字の貢献度がいかに大きいかということも分かるでしょう。

Q:この大きな木の地図はなんですか? 
A:とても目立つでしょう。「凸形京町図」といって、木でできた京都市街の立体地図です。生徒が通学の便や安全を学ぶためなどに使われていました。彫刻家が作ったため大変高価でしたが、生徒のために出費を惜しまなかったのでしょう。

Q:これは、算盤ですね。
A:そうです。算数を学ぶ教材もたくさんあります。「半顆算盤」は、珠の下三分の一を平らにし、珠が回転しないよう工夫されています。また現在も授業で使われている「こはぜ算盤」は、珠を触って確認する時にも乱れたりしにくい優れものです。他にも点字的な発想で筆算を可能にした「さいころ算盤」など、生徒のために試行錯誤した貴重な教材が何種類もあります。

Q:教育に情熱が感じられますね。
A:体育の授業についても、そうでした。盲や聾の子どもは、どうしても運動不足になりがちで、それが虚弱体質や短命につながりました。古河太四郎は、「まずは体力作り、健康が大切」と考え、いち早く体育の授業を導入しました。楽しく運動できるよう、工夫を凝らした授業の記録がたくさん残っています。

Q:裕福な家の子が通っていたのでしょうか?
A:そんなことはありません。京都は元々、子どもの教育に熱心でした。盲唖院では、誰でも通えるようにと、スクール人力車が二十台以上もあり、またどの分野でも一流の先生を招くなど、生徒の待遇が第一でした。加えて授業料免除なども行っていたため、常に経済面では苦労したようで、募金活動も行っていました。その募金箱も残っています。

 岸先生の、熱くて分かりやすいご説明により、時間を忘れてタイムトリップ。「ふーん、知らなかった」だけではなく、「私もがんばろう!」という気持ちになる、不思議な体験でした。だからこそ「宝箱」なんですね。

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